CU東京文京支部ニュース 2025年8月号
- CU東京文京支部
- 8月26日
- 読了時間: 10分
2025年8月号 No.123
文京区本郷3-19-6ワイユウビル4階 TEL:03-3815-1558 FAX:03-3813-6006
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【北とぴあ・つつじホール「あの夏の絵」】
8月4日(月)16時から、北区王子の「北とぴあ・つつじホール」で、北部春闘共闘会議主催で、「青年劇場」の「あの夏の絵」が公演されました。戦争被爆・戦後80周年、及び昨年にノーベル平和賞受賞を記念して開催されました。
プレトークについて、文京区被爆者友の会会長の(村山季美枝)さんと、青年劇場「あの夏の絵」の作・演出をされた福山啓子さんによるプレトークを30分間開催した。司会・進行に、青年劇場女優の武智香織さん。
語り部として、5歳5か月の時の被爆体験では、爆心地から2キロ。ドーンと爆発して自分にガラスのかけらが飛んできた。妹は、頭にガラスが突き刺さっていた。母は血だらけだった。妹の頭の突き刺さったガラスを麻酔無しに、家族が押さえつけてぬいた。匂いがひどい。横浜に移って、妹は理不尽ないじめを経験したそうです。被団協のノーベル平和賞受賞を喜び、核兵器廃絶へのコメントも話されました。福山さんからは、広島の基町高校の美術部の生徒たちが、被爆者の証言と記憶から、自分たちが経験していない姿を「絵」に描いて残すという、「伝承」方法に感動して、取材を重ねてこの作品を完成させたそうです。
広島の被爆者から被爆前後の経験とその後の人生等を聞いた、広島・基町高校の生徒たちが、「原爆の絵」を描いた実践を基に、「原爆の記憶が消えていくことの怖さ」を心に刻みながら、記憶や起きたことなどを忘れずに次の世代へと伝えていく物語です。
終演後、ロビーにて実際の高校生が描いた「原爆の絵」10枚のレプリカのパネル展示を約20分間に渡って行った。どれもみんな迫力と見たこともない描写に驚いた様子でした。一緒に観劇した友達や親子で見つめあって何か会話を
されていました。この機会に、演劇が好きになったり、興味関心を持つきっかけになったら、良いなと思いました。
かたずけ後に、実行委員会と青年劇場のお疲れさん会が20名で開かれた。今回のイベントは、ほぼ満席で参加者の満足そうな顔に、みんな大成功で明るい会になりました。少し遅れて参加した、美術部員で主役浅野恵の役の傍島ひとみさんも現れ、10年前の初演からの感じ方の変化や苦労(学生服が変わらず10年前と同じ体型を維持しなければならない)や、上演時間120分間、出ずっぱりなので、照明の熱などで、汗だくになるなどの経験を聞かせてもらいました。
【8月15日終戦の日(戦後80周年)】
こんにゃくえんま「汎太平洋の鐘」
8月15日(金)12時~14時に、文京区小石川二丁目の「こんにゃくえんま(源覚寺)」で、『汎太平洋の鐘』が、平和を願って響き渡りました。とても奇異な由来を持つ、こんにゃくえんまの「汎太平洋の鐘」は、1690年に創られたこの寺(源覚寺)に安置されました。約150年間、「鐘」は近隣に響き渡りましたが、1844年に「もらい火」で鐘楼を失ってからは、昭和の時代まで鐘楼堂を持たずに鳴ることはありませんでした。1937年(昭和12年)にサイパン島の「南洋寺」に新鐘楼が完成したのを機会に「鐘」は、はるばる海を渡ってこの寺に運ばれました。しかし、1941年(昭和16年)に太平洋戦争突入、日米戦争で、1944年7月に「サイパン島守備日本軍・非戦闘員玉砕」。その後「鐘」の行方は知れませんでした。
終戦後、20年目の1965年(昭和40年)に、米国テキサス州で発見され、この鐘は、米国へ渡ったことが分かりました。鐘には、「銃弾などによる穴の跡や剣による傷跡が多数そのまま残されていました」。
その後、カリフォルニア州に鐘は移りました。1974年(昭和49年)に、サンフランシスコ恒例の「桜まつり」を機会に、同地で「鐘」の日本への返還式が行われました。同年7月に横浜港に到着、10月16日、源覚寺にて「汎太平洋の鐘・復山」の命名大法要が行われました。
8月15日の当日は、多くの方が、この鐘を撞こうと集まりました。CU文京支部の組合員の坂本尚子さんも、学芸員として、引率者に説明をされていました。また、「青い空は」の合唱をされていたので、私も思わず口ずさみました(歌詞の、「すべての国から、いくさの火を消して、平和と愛と友情の、いのちのかがやきを、このかたい握手と、うたごえにこめて」)。
私の梵鐘を撞く番が来て、鐘撞き棒(鍾木)を少し揺らして、最後に後ろへ大きく棒を反らして、手を離したら大きな「ゴォーン」という低く大きな響きを残し、しばらくの間、目を閉じて手を合わせて、「世界平和と、戦争や争いの無い社会、貧困や格差・差別の無い世の中を祈りました。「過ちは繰り返しませんから」、心の中でじっくりと唱えました。」
この日は、こんにゃくえんま「源覚寺」令和7年8月15日専用の、「御朱印」を書いていただけるとのことで、「御朱印帳」に、ご記入・押印をいただきました。

【~広島平和宣言~】
今から80年前、男女の区別もつかぬ遺体であふれかえっていたこの広島の街で、体中にガラスの破片が突き刺さる傷を負いながらも、自らの手により父を荼毘に付した被爆者がいました。「死んでもいいから水を飲ませて下さい!」と声を振り絞る少女に水をあげなかったことを悔やみ、核兵器廃絶を叫び続けることが原爆犠牲者へのせめてもの償いだと自分に言い聞かせる被爆者。原爆に遭っていることを理由に相手の親から結婚を反対され、独身のまま生涯を終えた被爆者もいました。そして核兵器のない平和な世界を創るためには、たとえ自分の意見と反対の人がいてもまずは話をしてみることが大事であり、決してあきらめない「ネバーギブアップ」の精神を若い世代へ伝え続けた被爆者。こうした被爆者の体験に基づく貴重な平和への思いを伝えていくことが、ますます大切になっています。しかしながら、米国とロシアが世界の核弾頭の約9割を保有し続け、またロシアによるウクライナ侵攻や混迷を極める中東情勢を背景に、世界中で軍備増強の動きが加速しています。各国の為政者の中では、こうした現状に強くとらわれ、「自国を守るためには、核兵器の保有もやむを得ない。」という考え方が強まりつつあります。こうした事態は、国際社会が過去の悲惨な歴史から得た教訓を無にすると同時に、これまで築き上げてきた平和構築のための枠組みを大きく揺るがすものです。このような国家が中心となる世界情勢にあっても、私たち市民は決してあきらめることなく、真に平和な世界の実現に向けて、核兵器廃絶への思いを市民社会の総意にしていかなければなりません。そのために、次代を担う若い世代には、軍事費や安全保障、さらには核兵器のあり方は、自分たちの将来に非人道的な結末をもたらし得る課題であることを自覚していただきたい。その上で、市民社会の総意を形成するための活動を先導し、市民レベルの取組の輪を広げてほしいのです。その際心に留めておくべきことは、自分よりも他者の立場を重視する考え方を優先することが大切であり、そうすることで人類は多くの混乱や紛争を解決し、現在に至っているということです。こうしたことを踏まえれば、国家は自国のことのみに専念して他国を無視してはならないということです。
また、市民レベルの取組の輪を広げる際には、連帯が不可欠となることから、「平和文化」の振興にもつながる文化芸術活動やスポーツを通じた交流などを活性化していくことが重要になります。とりわけ若い世代が先導する「平和文化」の振興とは、決して難しいことではなく、例えば、平和をテーマとした絵の制作や音楽活動に参加する、あるいは被爆樹木の種や二世の苗木を育てるなど、自分たちが日々の生活の中でできることを見つけ、行動することです。広島市は、皆さんが「平和文化」に触れることのできる場を提供し続けます。そして、被爆者を始め先人の助け合いの精神を基に創り上げられた「平和文化」が国境を越えて広がっていけば、必ずや核抑止力に依存する為政者の政策転換を促すことになります。世界中の為政者の皆さん。自国のことのみに専念する安全保障政策そのものが国と国との争いを生み出すものになってはいないでしょうか。核兵器を含む軍事力の強化を進める国こそ、核兵器に依存しないための建設的な議論をする責任があるのではないですか。世界中の為政者の皆さん。広島を訪れ、被爆の実相を自ら確かめてください。平和を願う「ヒロシマの心」を理解し、対話を通じた信頼関係に基づく安全保障体制の構築に向けた議論をすぐにでも開始すべきではないですか。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、また恒久平和を念願する国民の代表として、国際社会の分断解消に向け主導的な役割を果たしていただきたい。広島市は、世界最大の平和都市のネットワークへと発展し、更なる拡大を目指す平和首長会議の会長都市として、世界の8,500を超える加盟都市と連帯し、武力の対極にある「平和文化」を世界中に根付かせることで、為政者の政策転換を促していきます。核兵器禁止条約の締約国となることは、ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会を含む被爆者の願いに応え、「ヒロシマの心」を体現することにほかなりません。また、核兵器禁止条約は、機能不全に陥りかねないNPT(核兵器不拡散条約)が国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として有効に機能するための後ろ盾になるはずです。是非とも来年開催される核兵器禁止条約の第1回再検討会議にオブザーバー参加していただきたい。また、核実験による放射線被害への地球規模での対応が課題となっている中、平均年齢が86歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩にしっかりと寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。
本日、被爆80周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、決意を新たに、人類の悲願である核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に、これからも力を尽くすことを誓います。
令和7年(2025年)8月6日 広島市長 松井 一實
【子ども代表 平和への誓い」
いつかは訪れる被爆者のいない世界。同じ謝ちを繰り返さないために多くの人が事実を知る必要があります。原始爆弾が投化されたあの日のことを思い浮かべたことはありますか?昭和20年1945年8月6日午前8時15分この日この広島に人類初の原子爆弾が投化され一瞬にして当たり前の日常が消えました。誰なのか分からないぐらい皮膚がただれた人々、涙と共に止まらない絶望の声。一発の原子爆弾は多くの命を奪い、人々の人生を変えたのです。被爆から80年が経つ今本当は辛くて思い出したくない記憶を伝えてくださる被爆者の方々から直接話を聞く機会は少なくなっています。どんなに時が流れてもあの悲劇を風化させず記録として被爆者の声を次の世代へ語り継いでいく使命が私たちにはあります。世界では今もどこかで戦争が起きています。大切な人を失い、生きることに絶望している人々がたくさんいます。その事実を自分のこととして考え、平和について関心を持つこと、多様性を認め、相手のことを理解しようとすること。1人1人が相手の考えに寄り添い、思いやりの心で話し合うことができれば傷つき悲しい思いをする人がいなくなるはずです。周りの人たちのためにほんの少し行動することがいずれ世界の平和につがるのではないでしょうか。
ワンボイス
例え1つの声でも学んだ事実に思いを込めて伝えれば変化をもたらすことができるはずです。大人だけでなく子供である私たちも平和のために行動することができます。あの日の出来事を広島の歴史を2度と繰り返さないために私たちが被爆者の方々の思いを語り継ぎ、1人1人の声をつぎながら平和を作り上げていきます。令和7年2025年8月6日
子ども代表
広島市立南小学校6年 関口ちえり
広島市立祇園小学校6年 佐々木駿
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